びっしりと蔦で覆われてしまっています。
鉱員住宅は職種や職位によっても分かれますが、その中でもどの部屋がいい、悪いというのが顕著にあったそう。ただ、満室でなかなか空きがでないので、選んでいる余裕なんてなかったそうです。
池島小中学校。
最盛期には小学校だけで1,287名が通い、中学校も15学級あったそうですが、現在は中学校は生徒がいないため休校中。小学校は児童が二人、同じ家庭の兄弟です。
池島唯一の食事処「かあちゃんの店」、宿泊する人はここを利用するしかないです。
池島にはあちこちに猫がいます。お店の前を陣取ってのんびりしていますが、近づいたら逃げられました。(笑)
島の公衆浴場「池島東浴場」。利用者は一日数人ですが、頑張って稼働中。
見学コース用に公開されている3号棟、ガイドさんと一緒に入ります。
郵便受けには名前が残ったままです。人様のおうちにお邪魔します。
階段の踊り場には当時としては画期的なダストシュートが備え付けられておりました。
早朝から昼過ぎまでの一
池島では、住宅が企業の持ち物であったことと、閉山してから後は住宅自体が使われないことが明白だったので、引っ越す際に荷物をそのままにしてして出て行った人も多く、ここにはそれらの一部が展示されていました。
3号棟には公開用の屋上があり、そこから見ると鉱員住宅の多さがよくわかります。これらがほとんど主を失った住宅なんだなと思うとちょっと寂しくなりますね。
写真奥の白い建物は、かつてリサイクル事業を行っていた「池島アーバンマイン」の建屋。池島の未来へつなぐ事業と期待されていたようですが、わずか5年余りで事業停止、その後破産となってしまいました。
観光客らしい人も含め歩いている人が全くいない道で、コミュニティバスの黄色い姿が見えるとなんかちょっとホッとします。
島唯一の宿泊施設「池島中央会館」
郵便局はポストも味のある風貌です。今ではATMも撤去されてしまっているので、窓口でしか利用できません。これも郵政民営化の余波なんでしょうね。
ボウリング場「池島ボール」。4レーンですが娯楽施設も繁盛していたんでしょうね。
島一番の繁華街へは第一竪坑櫓を見ながら階段を下りていきます。行きはよいよい酔った帰りは大変です。
池島は2001年に閉山とそれほど昔ではないので、マイルドセブン230円は懐かしい。
完全に荒廃てしまっているのではなく、今まさに荒廃していく過程が見てとれます。
パチンコ屋跡、炭鉱の島でも娯楽の王者。
景品交換所も今では蔦だらけ、この裏には闇金のような金貸しもあったそうです。
この繁華街は火災も発生し数件の建物が全焼したそうです。道も狭いですし消化は大変だったでしょうね。
14:00一回のみ、速達で出しても速くは届かないです。
床屋さんも今では島を出てしまっていますが、月数回島外から通ってお店を開けています。
池島の廃墟として一番目立つのがこの「火力発電所跡」、かつては海水淡水化装置も横にありましたが、閉山後に解体されてどこかへ運ばれていったみたいです。
閉山が決まってから一番の心配は「電力」と「水」、火力発電所が止まってしまうとどちらもなくなってしまうため、当時は対策を急ぐのに大わらわだったそうです。現在は対岸から引いています。
写真には写っていないですが、ヤギさんが2頭いて「メェーメェー」いってました。広場の草を食べてくれる清掃要員だそうです。
猫さんは、入りたそうな顔つきで時折こちらを見てきます。
人口が減り続ける池島、観光が最後の頼みの綱。ここには日本を支えた歴史や当時の先端技術が見られますので、このまま朽ち果てるだけの島になってしまっては本当にもったいない気がします。頑張れ池島!
今回は「長崎さるくの池島炭鉱さるく」をフルに活用して体験と散策をしましたが、一番良かったは、都度ガイドさんに「当時はどんなだったか」等を質問でき、坑内はもちろん、島の様子やそこに暮らす方々の気持ちや・生活を知ることができたことです。
特に島内見学コースのガイドさんは20年に渡って炭鉱の最深部で作業をされていた方だったので、くだらない質問にも快く当時の様子を教えて頂けました。
完全に朽ち果ててしまったわけではなく、まさに現在進行形で廃墟化していく「池島」。実際に坑内で仕事をされていた人の話を聞くこともできますし、自由に島内を散策することもできます。
廃墟マニアではなくとも、大人の社会科見学として楽しめる池島は行く価値ありました。
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