霧多布岬 ナナハンのアニキが教えてくれた北海道・浜中町の霧の岬

霧多布岬から眺める太平洋と緑に覆われた岩礁の風景 旅・風景

初めて一人北海道へ渡ったのは学生の時だった。
確か本州の最北端に行ってみたかったのと、フェリーに乗っている時間が一番短い約90分ということで青森県の大間を選んだのだったと思う。

何台かの大きなトラックやバイク、車が船に飲み込まれていく。
たしか船名は平仮名で「ばあゆ」と書かれていたと思う。

当時何も知らない私の脳内自動変換は「馬油」となっていた。

係員の指示通りに船内の駐車位置に車を停め、どきどきの船旅体験、まだ見ぬ北海道はどんな所なんだろうという高揚感と少しの心細さを感じながら2等客室の広間に入った。

先にくつろぐ一人の男性と目が合った瞬間、挨拶をされた。
ワンテンポ遅れてしまったが挨拶を返し、その場に私も座り込んだ。

今で言う「コミュ障」だった私は、こんな時何を話せばいいかわからなかったが、旅慣れた雰囲気のその男性のお陰で話が弾んだ。

その男性は、28歳で毎年仕事の夏休みを使ってバイクで北海道を走っている人だった。学生の私から見たらかなりの大人に見えた。

バイクは何ccなんですか?と私が尋ねると、ポツリ、「ナナハン(750㏄)」と、どこか自信を覗かせる力のこもった声でもあった。

バイクに詳しくない私でもナナハンが”偉いバイク”だとの認識はあった。
私は、心の中でナナハンのアニキと呼んでいた。

私はアニキに「北海道は初めてで、どこかおすすめの場所はありますか?」と尋ねた。

当時は、ナビも携帯もない時代、頼れるのはJAFの全日本ルートマップ1冊だけ。観光地紹介は少し載っていたが、いかんせん情報がなさすぎる。

折角、目の前に旅の先輩がいるので教えて貰おうと思った。

ナナハンのアニキは、一瞬どこか遠くを見るような顔をして、それから私に視線を戻した。

「きりたっぷ岬」

そう言った。

ほんの少しだけ船が揺れたような気がした。

続けて
「霧がたっぷりきりたっぷ。漢字だと霧が多い布。ここはいいとこだよ」

それだけだった。
何がどう良くて、なぜそこが好きなのか、そんなこと何も言わなくてもアニキは本当にその場所が好きなんだなというのがわかった。

「ありがとうございます。必ず行ってみます」

私もそれだけ伝えた。社交辞令ではなく、絶対に行ってみようと決意していた。

その話が終わるとアニキは、
「さっ、そろそろ俺は昼寝ぶっこくわ」
そう言って横になった。


~~~

私は、その旅の道中で実際に「霧多布岬」を訪れた。

実際に周辺はたっぷりの霧に包まれていて、少し高めの「ブォーーーッ、ブォーーーッ」という大きな音が辺りに不気味に響いていた。

後で知ったのだが、これは「霧笛」という灯台の光が視界が悪く届かない時に「音」で知らせる合図だった。

霧に包まれた霧多布岬の古い木製標柱と奥にかすむ霧信号所

目の前に立つ木の標柱と手すりは、年季が入って長い時間をそこで過ごしてきた証のように見えた。

霧多布岬の霧信号所へ続く草に囲まれた道

道は「霧笛」が鳴る霧信号所へと続き、その脇を抜けていくと岬へと通じていた。

海も空も水平線も見えない。霧多布岬の遊歩道は、そのまま霧の中へ消えていくようだった。

岬へと続く道は、霧へと続く道だった。
海も、空も、水平線も、全てが霧の中に溶けていた。

そこには、観光地らしい明るさも絵画のような青い海もなかった。

でも、それが良かった。
こうやって風と霧の中に立っていると、遠くまで旅をしているという実感が霧の間にゆっくり湧いてくるようだった。

アニキもここまでの道をナナハンで走り、同じように霧の中で立ち止まったのだろう。
勧めてくれた理由がわかった気がした。

ありがとう。

名前も知らない、連絡先も知らない、もう一度会うこともないだろう。
それはわかりきっていた。

それでも、旅の記憶というものは不思議で、何十年も前に2等客室で交わした短い会話が、ある岬の風景と結びついて今もはっきりと残っている。

あの時、自分はまだ北海道を知らなかった。
どこへ行けばいいのかも、何を見ればいいのかも、よくわかっていなかった。

そんな自分に、少し先を走っていた旅人が、ひとつの岬の名前を教えてくれた。

それだけの話だ。

けれど私にとって霧多布岬は、その「それだけ」がいつまでも残っている思い出深い場所だった。




※船名「ばあゆ」(VAYU)は、インド神話の風の神「ヴァーユ」に由来。
※当時750cc以上のバイクも出てはいたが、まだ「ナナハン」が一般的に”偉い”存在だった。
※海上保安庁が管理していた霧信号は、2010年3月31日で廃止された。
※「霧多布」の由来は、アイヌ語の「キータプ」(茅を刈る場所、葦を刈るところの意味)で、現在の漢字は後から当てられたもの。

霧の多い岬に「霧多布」という字が当てられているのは、偶然のようでいて、あまりにもよく似合っている。

現在の霧多布岬と浜中町を少し歩く

それから長い時間が流れる中、私は何度か霧多布岬を訪れた。

かつて霧の中に立っていた古い木の標柱や手すりは、今では新しいものに変わっていた。
同じ「きりたっぷ岬」の文字でも、昔の記憶の中にある標柱とは少し違う。

けれど、標柱の向こうに広がる海と、太平洋へ突き出した岩礁の風景を見ると、ここがあの霧多布岬であることに変わりはなかった。

現在の霧多布岬の標柱と太平洋に突き出した岩礁の風景

岬の先へ目を向けると、緑に覆われた岩礁と、白く波立つ太平洋が広がっている。
霧に包まれていた昔の印象が強かったせいか、晴れ間のある霧多布岬は少し別の場所のようにも見えた。

ただ、明るい海を前にしても、どこかに道東らしい寂しさがある。
にぎやかな観光地というより、風と海と草の匂いが残る岬。
やはり霧多布岬は、そういう場所なのだと思う。

霧多布岬から眺める太平洋と緑に覆われた岩礁の風景

霧多布岬の近くには、湯沸岬灯台が今も変わらず立っている。
赤と白の灯台は、霧の中で見た記憶とはまた違い、岬を象徴する建物のひとつだ。

昔、霧の日に聞いた大きな霧笛の音は、今はもう聞くことができない。
それでも灯台の姿を見ると、ここが海とともにある町なのだと改めて感じる。

北海道浜中町の霧多布岬に立つ湯沸岬灯台

少し遊び心のある写真を撮れる場所もある。
恋人たちのシルエット越しに、遠く湯沸岬灯台が見える看板だ。

歳を重ねた男が一人でこれを撮影するには、まぶしく感じた。

恋人のシルエット看板越しに見える湯沸岬灯台

霧多布岬を歩いたあとは、浜中町の「ルパン三世の湯 霧多布温泉ゆうゆ」(2026年4月20日からの正式名称)に立ち寄るのもいい。実際に私は何度か訪れた。

浜中町は、漫画『ルパン三世』の作者、モンキー・パンチ先生の故郷としても知られている。そのため町のあちこちでルパン三世にちなんだものを見ることができ、霧多布温泉ゆうゆの暖簾にもその雰囲気がある。

霧多布温泉ゆうゆのルパン三世デザインの男湯のれん

男湯の暖簾はルパン三世のデザインだった。女湯はもちろん不二子ちゃん(2013年のデザイン)。

夕日に照らされる霧多布岬の海と岩礁の風景

ナナハンのアニキから聞いた霧多布岬。
今では私にとっても、誰かに薦めたくなる場所の一つになっている。

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