2026年8月、鎌倉・鶴岡八幡宮を訪れましたが、丁度ぼんぼり祭をやっていました。
境内に並ぶぼんぼりを眺めながら歩いていると、一つの絵に目が留まる。
描かれていたのは、鶴岡八幡宮の大石段と、その脇に大きく枝を広げる大銀杏。
そこには、
「なつかしいな 八幡宮の大銀杏」
という言葉が添えられていました。
かつてここには、鶴岡八幡宮の象徴ともいえる大銀杏がありました。
今ではもう見ることのできない、その大きな姿。
ぼんぼりを眺めているうちに、昔撮った写真のことを思い出しました。
今、大石段脇に育つ「親」銀杏と「子」銀杏

かつて大銀杏があった場所では、現在も銀杏が青々と葉を広げています。
かつての大銀杏は、2010年3月10日未明、雪混じりの強風によって根元から倒伏しました。推定樹齢1,000年ともいわれた巨木の突然の倒伏は、大きなニュースにもなりました。
しかし、大銀杏の命がそこで完全に途絶えたわけではありません。
倒れた御神木の一部はすぐ近くへ移植され、元の場所に残った根からは、ひこばえが伸び始めました。
写真の左側にある太い幹が「親銀杏」です。
倒れた大銀杏の幹の一部を、すぐ近くへ移して植え直したもので、そこから新しい枝や葉が伸びています。
写真の右側で大きく葉を広げているのが「子銀杏」です。
こちらは、大銀杏がもともと立っていた場所の地中に残った根から、新しく芽を出して育ったものです。
かつて一本だった大銀杏が、今は「親」と「子」という二つの姿になって、大石段の脇で育ち続けています。

倒伏から16年以上が経過して、かつて大銀杏があった場所には子銀杏が成長して参拝客を見守っています。


源実朝と「隠れ銀杏」の伝承
鶴岡八幡宮の大銀杏といえば、源実朝暗殺にまつわる話もよく知られています。
建保7年(1219年)1月27日、鎌倉幕府三代将軍・源実朝は、鶴岡八幡宮で甥の公暁(くぎょう)に襲われ、命を落としました。
その際、公暁が大銀杏の陰に身を潜め、実朝を待ち伏せしていた――という伝承があります。
このため大銀杏は、「隠れ銀杏」とも呼ばれてきました。
「なつかしいな 鶴岡八幡宮の大銀杏」
ここから少し、時間を遡ります。
以下は2008年12月に撮影した在りし日の大銀杏です。
似たようなカットで撮影したものもありました。

まさに大銀杏という存在感。狛犬の大きさでいかに大きかったかがわかります。
今の姿を見てからこの写真を見ると、「ここに、こんな大きな銀杏があったんだ」と改めて思います。
当時はもちろん、この木が後に倒れてしまうなど考えもしませんでした。


秋になると、大銀杏全体が黄金色に染まります。
朱塗りの社殿と黄色い葉。
今となっては見ることのできない、在りし日の鶴岡八幡宮の秋の風景です。

大石段の左側に立ち、楼門にも負けないほど大きく枝を広げていました。

狛犬の向こうに見える大銀杏。
今回撮った現在の写真にも同じ狛犬が写っています。
狛犬は変わらずそこにいて、その向こうの景色だけが大きく変わりました。

【2026年8月訪問】
【2008年12月訪問】
ちなみに、富山市にも「鎌倉八幡宮」という名の神社があります。こちらには北条時頼にまつわる伝承が残り、境内には大きなエドヒガンが立っています。
→ 鎌倉八幡宮の大桜|富山市に残る北条時頼伝承とエドヒガンの一本桜

