わに塚のサクラ|山梨・韮崎の樹齢330年、不思議な名の一本桜

青空の下で満開となったわに塚の桜と、右奥に見える雪化粧の八ヶ岳

山梨県韮崎市の田園に、小高い塚から枝を広げる一本の見栄えの良い桜があります。
満開の花に包まれた姿はもちろん、眺める場所や光によって変わる表情も魅力です。少し変わったその名前には、古くからの言い伝えが残されています。

わに塚の桜 基本情報

項目
内容
名称
わに塚のサクラ(わにづかのさくら)。
通称:わに塚の桜
桜の種類
エドヒガン
推定樹齢
330年
オススメ度(5段階)
★★★★
一言
小高い塚に立ち、富士山や八ヶ岳を背景に美しい枝ぶりを広げる一本桜
例年の見頃
3月下旬~4月上旬
撮影日
初回訪問 2006年4月上旬
最新訪問 2026年3月下旬
所在地
山梨県韮崎市神山町北宮地624
アクセス
中央道
・韮崎ICから約15分
駐車場/トイレ
駐車場有(臨時駐車場も有)・トイレ有
その他・ライトアップ:有
 時間:18:00~20:00
・市指定天然記念物
・畑、私有地への立入禁止
参考URL
 韮崎市観光協会

「わに塚」という名前の由来

「わに塚」と聞くと動物のワニを思い浮かべますが、その名前にはいくつかの説が残されています。

・鰐口に由来する説
 江戸時代に編纂された地誌『甲斐国志』には、塚の形が神社や寺院に吊るされる仏具「鰐口(わにぐち)」に似ていると記されています。そこから「鰐塚」と呼ばれるようになったという説です。

・武田王の墓に由来する説
 地元には、日本武尊(やまとたけるのみこと)の王子と伝わる武田王が、この地を治め、亡くなった後に葬られたという言い伝えがあり、「王仁塚」という表記も残されています。
武田王が暮らしたとされる館は「桜の御所」と呼ばれ、その跡地に霊廟が建てられたことが、現在の武田廣神社の起源と伝えられています。

・古墳説、王仁族説
このほかにも、前方後円墳だったという説や、古代に王仁族が暮らしていたという説も伝わっています。ただし、古墳であることや王仁族との関係が確認されているわけではありません。

どれが本当の由来なのかは、今もはっきりしていません。
そんな遠い昔の物語を知る由もなく、今年も小さな塚の上で美しい花を咲かせる一本桜。その姿は、昔も今も変わらず春の訪れを告げています。

淡い光の中、小高い塚の上で満開の花を広げるわに塚の桜

わに塚の桜は、周囲の田園から少し盛り上がった塚の上に立っています。
幹から伸びる太い枝は四方に大きく広がり、満開になると塚全体を覆うように花を咲かせます。

この写真は、最初に訪れた際にフィルムで撮影したものですが、私にとってこの「わに塚の桜」は、何度訪れてもお天気に微妙に恵まれないことが多いです。

山並みと送電鉄塔を背景に、田園の中で咲くわに塚の桜

実は鉄塔がすぐそばにあり、無数の送電線が走っています。
こうして見ると、古桜と現代の風景が同居しているのも面白いものです。

満開のわに塚の桜の枝間から春の日差しが差し込む風景

春の柔らかい光に照らされて少しピンクが濃くなったように感じます。

小高い塚の上に立ち、左右に大きく枝を広げる満開のわに塚の桜
わに塚の桜の太い幹を背景に、足元で咲く黄色いスイセン
黄色いスイセンを前景に、満開のわに塚の桜を見上げた春の風景

足元にはスイセンが咲いていて、黄色と淡いピンクの対比が素敵。

青空の下で満開となったわに塚の桜と、右奥に見える雪化粧の八ヶ岳

天気が良い日には遠く富士山や八ヶ岳の残雪も望めます。春の訪れですね。

そしてなんと言っても、ここは富士山と一緒に写った写真が一番有名な桜なのですが、私は今まで写真のように八ヶ岳は見えたことはありますが、富士山を綺麗に望めたことは一度もありません。(苦笑)

わに塚の桜の近くに掲げられた、神山産「わに塚の桜米」ののぼり旗

「神山産 わに塚の桜米」地元の方がお米を売っていました。
桜の名前を冠したお米ということで、桜を愛でた思い出と地域へのお礼として購入。
とっても美味しくいただきました。ご馳走様!

まとめ

初めて訪れてから20年。何度訪れても、変わらず美しい姿を見せてくれるわに塚の桜。
花見客は非常に多いものの、臨時駐車場もあり、車の入れ替わりも早いので、それほど苦にはなりません。支柱もなく、見栄えの良い優美な姿は、ぜひ一度見てほしい一本桜です。

私は、次に訪れるときこそ、富士山を背景にした姿を見てみたいものです。さて、あと何回通えば願いが叶うのでしょうか。(笑)

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