醍醐桜とは
醍醐桜は、岡山県真庭市別所の山里に立つ一本桜です。
一本桜といっても、各地にはいろいろな桜がありますよね。
里山の風景に溶け込む桜もあれば、田んぼの中やお墓にぽつんと立つ桜。
それぞれに良さがありますが、醍醐桜を初めて見たとき別格だなと思いました。
言葉に表すと「孤高の一本桜」。
一本桜って普通に孤高だよね、なんていう声も聞こえてきそうですが、山里の小高い丘に堂々と佇む姿は周囲の空気まで変えてしまうような存在感があり圧巻です。
名前の由来は、鎌倉幕府倒幕に失敗した後醍醐天皇が隠岐へ流される途中、この桜を見て賞賛したという伝説によるものです。その名前に相応しい桜だと思います。
過去訪れた時は樹勢が少し弱って花つきが悪く感じた年もありましたが、花いっぱいの満開の姿を楽しめたのは、また思い出の1ページになりました。
醍醐桜 基本情報

初めて訪れた時はフイルムカメラでの撮影でした。この時も満開でしたが、今と花つきが明らかに違います。

早朝の桜の向こうにはうっすらと雲海が出ていて、しっとりとした優しい朝でした。

この時は日が高くなってきても靄っていましたが、それが反対に風情あって良きでした。

「生き延びて醍醐桜の花に酔う」の句碑。幾多の時代と風雪を乗り越え(生き延びて)、今なお見事に咲き誇るその神々しい姿と美しさに、心から酔いしれるという意味が込められています。
人も幾多の困難を乗り越えて、見事に咲き誇る春の桜を愛でて、良い意味で酔いしれたいですよね。

人が入ると大きさがよくわかりますよね。訪れる人は皆思い思いに桜を見上げ、春の日を楽しんでおりました。


この日はお天気も良く、キラキラ光る太陽の光と存在感ある桜と花びらが、ひときわ春の心地よさを演出してくれました。

すぐ隣には、樹齢約50年ほどの醍醐桜二世がすくすくと育っています。こちらもとっても綺麗に花をつけておりました。
また会いに行く
過去に訪れた大きな桜を、再び見に行く朝はちょっぴり特別。
初めて訪れる桜とはまた違う。
一度見たことがあるからこそ、胸の奥が少しだけ騒がしくなる。
あの桜は、今年も変わらず立っているだろうか。
花つきはどうだろう、花はどのくらい咲いているだろうか。
前に見たときと同じように、空を大きく覆っているだろうか。
早朝車を走らせながら、そんなことを考えていると、まだ桜の姿は見えていないのに、もう半分くらい会いに行った気持ちになっている。
大きな桜には、不思議な再会感があります。
ただの景色ではなく、どこかで待ってくれている旧友のような感じもする。
何年ぶりであっても、こちらが勝手に覚えていて、勝手に懐かしんでいるだけなのに、近づくにつれて心が少しずつ明るくなっていく。
山道を抜け、見覚えのある風景が増えてくる。
たしか、この先だったはずだ。
そう思った瞬間、期待が少しだけ現実に近づく。
そして遠くに、あの大きな枝ぶりが見えたとき、胸の中で小さく何かが弾ける。
今年も咲いている。
その一言だけで、十分でした。
花の量がどうとか、光がどうとか、写真として撮りやすいかどうかとか、そういうことを考える前に、まずそこに立っていることがうれしい。
大きな桜を久しぶりに見るというのは、花を見ることだけではないのかもしれません。
前に訪れた日の記憶や、そのときの自分まで、少し一緒に連れて行く。
そして、変わらずそこに立つ桜の前で、今の自分がまた立ち止まる。
春は毎年来ますが、同じ春は二度とありません。
だからこそ、久しぶりに見る大きな桜には、ただ美しいだけではない期待感があります。
また会える。
その気持ちだけで、桜へ向かう道のりまで、少し楽しくなるのです。


