信玄駒つなぎの桜と旧山千寺|長野市に残る在りし日の一本桜の記憶

満開を迎えた在りし日の信玄駒つなぎの桜

信玄駒つなぎの桜と旧山千寺

長野市北部、三登山の山腹に位置する旧山千寺(さんせんじ)。

石段の下には、かつて推定樹齢約450年とされた大きな枝垂れ桜が立っていました。

その名は「信玄駒つなぎの桜」。

川中島の戦いを前に、武田信玄が山千寺で勝利を祈願し、この桜に馬をつないだと伝えられています。

石段を覆うように枝を垂らす桜と、その上に建つ古い観音堂。一本の桜だけではなく、観音堂や石垣を含めた風景全体に、時が止まったような静けさがありました。

しかし、信玄駒つなぎの桜は樹勢の衰えが進み、倒木の危険から伐採されています。

ここで紹介するのは、現在では見ることのできない、在りし日の桜の姿です。

信玄駒つなぎの桜 基本情報

項目
内容
名称
信玄駒つなぎの桜(しんげんこまつなぎのさくら)
桜の種類
エドヒガン(シダレザクラ)
推定樹齢
450年
オススメ度(5段階)
一言
樹勢の衰えと倒木の危険により現在は伐採。
例年の見頃
撮影日
2017年4月下旬
所在地
長野県長野市吉
アクセス
上信越道
・須坂長野東ICから約30分
駐車場/トイレ
駐車場無・トイレ無
その他
参考URL
 長野市
旧山千寺の入口から観音堂方面を見上げる春の風景

山千寺の入口に立っても、華やかな観光地らしい雰囲気はありません。

名所の方から「こちらです」と強く主張してくるような場所ではなく、山あいの集落に古い信仰の場がひっそり残されていました。

けれど奥へ進むと、石段の前で大きく枝を広げる桜が現れます。

石段の手前で咲いた信玄駒つなぎの桜

旧山千寺観音堂へ続く石段と信玄駒つなぎの桜

信玄駒つなぎの桜は、広い田畑の中に立つ一本桜とは違い、観音堂へ続く石段の手前、境内に入る人を静かに歓迎するように立っていました。

桜越しに見上げると、その奥には観音堂が見え、まるで春の中へ続いているようでした。

戦火と再建を重ねた旧山千寺

山千寺は、寺伝によれば天文12年(1543年)、戸隠奥院の円明坊融弘が戸隠一山の力を借り、十二坊を構えて開いたとされています。

永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦い前後に戦火で焼失。その後、武田信玄の援助を受け、家臣の丸子直久によって観音堂が再建されました。

信玄が戦いを前に勝利祈願へ訪れ、馬をつないだという桜の伝承も、この歴史から生まれたものです。

もちろん、信玄が実際にどの枝へ馬をつないだのかまで確認できる記録はありません。そこまで考え始めると、こちらの想像に任される仕事が少々多くなります。(笑)

それでも、推定樹齢約450年とされた古木が戦国の歴史を持つ観音堂の前に立っていれば、そんな伝承が残るのも不思議ではありません。

旧山千寺観音堂付近から見下ろす信玄駒つなぎの桜

観音堂側から見下ろすと、手前にもう1本桜があり、奥に枝を広げた信玄駒つなぎの桜があることがわかります。

旧山千寺観音堂と眼下に咲く信玄駒つなぎの桜

焼失や衰亡を経て、現在の観音堂が建てられたのは文政4年(1821年)です。山千寺は明治維新後に廃寺となりましたが、観音堂や石段、石塔群などは地域の人々によって守られてきました。

旧山千寺に伝わる銅造観音菩薩立像は7世紀後半の作とされ、長野県内で最古級の仏像として国の重要文化財に指定されています。

私が訪れた時は、他に誰一人訪れる人はなく、ひっそりとした中で朝の鳥のさえずりのみが静かに響き渡っていました。

樹勢回復の試みから伐採へ

信玄駒つなぎの桜と山千寺観音堂の風景は、平成26年度(2014年度)に「ながの百景」のひとつに選ばれました。選ばれた名称も「信玄駒つなぎの桜と山千寺観音堂」です。

桜だけではなく、下から見上げる観音堂と、桜越しに眺める風景が評価されたものでした。

平成31・令和元年度(2019年度)には、山千寺史跡保存会によって施肥や枯死枝の除去が行われています。桜を残すための樹勢回復が試みられていたことがわかります。(令和元年度・緑の募金公募事業実施状況による)

しかし、その後も衰えは止まらず、倒木の危険性が高まったため、管理者によって伐採されました。

風景が変わってしまったことから、2024年度の「ながの百景」リニューアルでは選定から外されました。現在は、かつての景観を伝えるアーカイブとして残されています。

なお、地元の散策案内では、伐採された桜の根元から次世代の若木が育っていると紹介されています。

旧山千寺の境内を外から望む花々と奥に見える桜

写真に残った在りし日の桜

私が訪れた時、これが最後に見る姿になるとは思っていませんでした。

450年生きてきた桜は変わらずそこにあり、石段の上には観音堂があり、今までもこれからも春は同じように花を咲かせる。古木なのだから、むしろ人間より長くここにいるものだと、どこかで勝手に思っていました。

けれど、不思議なほど時が止まったように感じたこの場所でも、本当に時間が止まっていたわけではありません。

桜の内側では静かに衰えが進み、やがて倒木を防ぐための伐採という決断が下されました。

現在も観音堂や境内は残っていますが、桜の花越しに観音堂を見上げた、かつてと同じ姿を見ることはできません。

今となっては、写真の中で見上げれば、信玄駒つなぎの桜は当時のまま満開です。
時が止まったように感じた場所で、結果として時間を止めてくれたのは、やはり写真だったのかもしれません。