石戸蒲桜
埼玉県北本市の東光寺境内に立つ石戸蒲桜。
推定樹齢は約800年。三春滝桜や山高神代桜などとともに日本五大桜に数えられ、1922年には国の天然記念物に指定された古桜です。
しかし、この桜の価値は「日本五大桜」という肩書きだけではありません。
ヤマザクラとエドヒガンが自然に交わって生まれたと考えられ、自生するカバザクラは、この石戸蒲桜ただ一本とされています。長い歴史だけでなく、植物としても極めて珍しい桜なのです。
幹の周りには何本もの支柱が立ち、樹齢800年という年月をそのまま見せるような姿です。その一方で、枝先に咲く花は白く小ぶりで、古木の重々しさとは対照的な可憐さがありました。
石戸蒲桜 基本情報
項目 | 内容 |
|---|---|
名称 | 石戸蒲桜(いしとかばざくら) ※文化財指定名称:石戸蒲ザクラ |
桜の種類 | カバザクラ |
| 推定樹齢 | 800年 |
オススメ度(5段階) | ★★★★ |
一言 | 日本五大桜の一つ。ヤマザクラとエドヒガンが自然交雑した、現存する唯一の自生個体とされる希少な古桜。 |
例年の見頃 | 3月下旬~4月上旬 |
撮影日 | 初回訪問 2016年4月上旬 最新訪問 2018年3月下旬 |
所在地 | 埼玉県北本市石戸宿3丁目119番地 東光寺境内 |
アクセス | 圏央道 ・桶川北本ICから約5分 |
駐車場/トイレ | 駐車場有 8:00~18:00 トイレ有 |
| その他 | ・ライトアップ:実施される年と実施されない年がある ・国指定天然記念物 |
参考URL | 北本市 日本五大桜 |
日本五大桜に数えられる石戸蒲桜

石戸蒲桜は、福島県の三春滝桜、山梨県の山高神代桜、静岡県の狩宿の下馬ザクラ、岐阜県の根尾谷淡墨桜とともに、日本五大桜に数えられています。
いずれも1922年に国の天然記念物へ指定された、日本を代表する古桜です。石戸蒲桜の指定日は同年10月12日で、2022年には指定から100年を迎えました。
石戸蒲桜は江戸時代から知られた名木でもあります。
滝沢馬琴の随筆『玄同放言』には、地元の古老から聞いた蒲桜の来歴や大きさが記され、渡辺崋山による挿絵も添えられています。現在のように写真で名所を紹介できなかった時代にも、この桜の評判は江戸まで届いていたのでしょう。
日本五大桜の名は伊達ではなく、かなり昔から有名だった一本です。
2016年に訪れた時は、石戸蒲桜はやや見頃を過ぎていましたが、散った花びらが地面を淡い絨毯のように染めていました。

樹齢800年の古木と聞くと、どこか重厚な花を想像してしまいますが、実際に近くで見る花は驚くほど繊細です。太い幹の姿だけでなく、ぜひ枝先の小さな花にも目を向けてほしい桜です。

蒲桜の周辺の民家には、樹齢100年近くのオオシマザクラの白い花が目につきました。畑に舞った花びらと菜の花も、春らしい風景を見せてくれました。
※2016年時には、オオシマザクラの前の塀に説明板が設置されていました。
「蒲」の名に残る源範頼の伝説

石戸蒲桜の「蒲」は、源頼朝の異母弟である源範頼の通称、蒲冠者(かばのかじゃ)に由来すると伝えられています。
範頼は遠江国蒲御厨、現在の静岡県浜松市付近で育ったことから、蒲冠者と呼ばれました。源平合戦では頼朝や義経とともに平家追討で功績を残しましたが、のちに頼朝から謀反の疑いをかけられ、伊豆の修善寺へ幽閉されたとされています。
ところが石戸宿には、範頼が伊豆で亡くならず、追っ手を逃れてこの地までたどり着いたという伝説が残されています。
その途中で使っていた杖を地面に立てたところ、やがて根付いて蒲桜になった。または、範頼自身が植えた桜であるとも伝えられています。
もちろん、これは史実として確認された話ではなく、石戸宿に伝わる物語です。
それでも、源範頼の名が桜の名前となり、800年もの間、この地で語り継がれてきたこと自体が興味深いところです。東光寺には現在も範頼と亀御前の位牌が保管されています。

失われた幹と、受け継がれた命
天然記念物に指定された当時、石戸蒲桜は根元から東西南北へ4本の大幹を伸ばし、根元の周囲は約10.8メートルありました。
しかし、当時から残る幹は現在、東側の一本だけです。
その一方で、昭和50年代に南側の根元から生じた萌芽が成長し、現在の樹形をつくっています。古い幹を失いながらも、新たな幹へ命をつないできた桜といえます。

過去には樹勢の低下も見られましたが、樹勢回復事業や日常的な管理によって、現在は花付きや新芽の伸びが安定しています。
ただし、天然記念物指定時から残る東側の幹は木部の腐朽が進んでおり、何本もの支柱で補強されています。
写真を撮ろうとすると、どうしても支柱が画面に入ります。
けれども、この支柱は単なる障害物ではありません。長い年月を生きてきた古桜を守り、今も花を咲かせるために欠かせないもの、いわば桜の一部です。

かつて蒲桜の根元には、源範頼の墓標とも伝わる層塔や、鎌倉時代から室町時代初期に造られた16枚の板石塔婆がありました。
桜の成長とともに石塔を根元へ取り込んでいたため、根を守る目的で1973年に大部分が東光寺境内の収蔵庫へ移されています。ただし、幹に完全に取り込まれていた一枚は移動できず、現在も桜の内部に残されています。
二度の春に見た石戸蒲桜
最初に訪れたのは2016年。その二年後の2018年にも、満開の石戸蒲桜を見上げることができました。
二年という歳月は、樹齢800年の桜にとって、ほんの一瞬にすぎないのでしょう。
それでも、空の色も、差し込む光も、枝先に咲く花の表情も同じではありません。2016年には散った花びらが根元を淡く染め、2018年には白い花が青空へ向かって伸びていました。
天然記念物に指定された当時の大幹は、その多くが失われています。残る幹にも傷みがあり、枝の周囲には何本もの支柱が立っています。
失った幹があり、そこから新しい芽が育ち、多くの人に守られながら、今も春になると花を咲かせる。
枝先の花は可憐でも、その下には800年という途方もない時間が積み重なっています。
そんなふうに静かに春を告げる石戸蒲桜を、またいつか訪ねてみたいと思います。

