真名井の滝|神話の高千穂にて見ることができない写真の記憶

真名井の滝と高千穂峡の柱状節理が続く岩壁

私が撮ったのに、私には決して見ることができない写真がある。

旅先で「写真を撮ってもらえますか?」と頼まれ、相手のカメラで撮影した写真だ。

ただシャッターを押すだけなら、数秒で終わる。それでも私は、背景の入り方を考えたり、立つ位置を少し変えてもらったりして、できるだけ喜んでもらえる一枚を撮ろうとする。

そんな写真が、宮崎県の高千穂峡にある真名井の滝にも、おそらく十枚以上残っている。

もちろん、私のアルバムには一枚もない。

2002年 フィルムで撮った真名井の滝

2002年8月にフィルムで撮影した高千穂峡の真名井の滝

真名井の滝を初めて訪れたのは、2002年8月だった。

当時の私はフィルムカメラを使っていた。撮影した写真をその場で確認することはできず、現像するまで成功したかどうかもわからない。

今なら撮った直後に画面を見て、少し暗ければ撮り直せる。水平が傾いていても気づけるし、何枚撮ってもフィルム代はかからない。

昔の写真撮影は、フィルム1本36枚なので1枚撮るのも慎重で、今より少しだけ不便で、その分だけ潔かった。

この時に撮った真名井の滝は、全体に青みが強い。フィルムの特性だったのか、現像の影響だったのか、それとも私の腕の問題だったのかは、今となってはわからない。

けれど、この深い青色が、私の中に残っている当時の高千穂の記憶にはよく似合っている。

真名井の滝は、高千穂峡を代表する高さ約17メートルの滝で、「日本の滝百選」にも選ばれている。高千穂峡は、阿蘇山の火山活動によって生まれた火砕流の堆積物を五ヶ瀬川が削り、長い時間をかけて形づくられた峡谷である。国の名勝・天然記念物にも指定されている。

……という詳しい地質や観光の解説は、私より詳しい方がほかにいくらでもいるだろう。

私に強く残っているのは、滝の成り立ち以上に、そこでなぜか大勢の写真を撮ることになった記憶である。

真名井の滝で臨時カメラマンになった日

2002年当時も携帯電話はあったが、今のように誰もがスマートフォンを持ち、自撮りをする時代ではなかった。

旅先で家族や友人と一緒に写りたい時は、近くにいる誰かにカメラを渡して撮ってもらう。そのため、「写真を撮ってもらえますか?」と声をかけられる機会も、今よりずっとずっと多かった。

ちょうど上の写真を撮っていた時、一組の観光客から写真を頼まれた。

どうせ撮るなら、滝がきれいに入る位置で撮ってあげたい。

私は少し立ち位置を調整し、人物と滝のバランスを考えてシャッターを押した。撮り終えると、次の人からも声をかけられた。

その次の人にも頼まれた。

そして、また次の人にも頼まれた。

気がつけば、私の前には小さな列ができていた。

一組目を少し丁寧に撮っている姿を見て、「あの人に頼めば、ちゃんと撮ってくれそうだ」と思われたのかもしれない。いや、「この機に乗じてお願いするチャンス!」と思われたのかもしれない。最終的には十組ほど撮った記憶がある。

私は高千穂峡を見に来た一人の旅人だったはずが、いつの間にか真名井の滝の臨時カメラマンになっていた。

途中で、
「これは、お金を取ってもよいのではないか」
という邪な考えも、ほんの少しだけ頭をよぎった。

もちろん実際には取っていない。

脳内で開業しかけた写真店は、料金表を出す前にその日のうちに閉店した。

神話の水が流れ落ちる場所

真名井の滝には、高千穂らしい神話も伝わっている。

天孫降臨の際、この地には水がなかったため、天村雲命(あめのむらくものみこと)が高天原から水種を移したという。その水が湧き出す場所が「天真名井」であり、真名井の滝の水源になったと伝えられている。天真名井の水は、現在も御神水として大切にされている。

高千穂は、天岩戸や天安河原をはじめ、神話の舞台と伝えられる場所が数多く点在している。そのため、町全体がパワースポットとして紹介されることも多い。

残念ながら、私には目に見えない力の強さを測る能力はない。

ただ、切り立った岩壁に囲まれ、深い色の水面へ白い滝が落ちる風景を前にすると、日常とは少し違う場所へ入り込んだような感覚はある。

自然科学の側から見れば、火砕流と川の侵食がつくった峡谷である。

神話の側から見れば、高天原から運ばれた水が流れ落ちる場所である。

その二つが無理なく同じ風景の中に存在しているところが、高千穂らしさなのだろう。


※真名井の滝の観光情報や最新の状況は、高千穂町観光協会の公式サイトで確認できます。

私が撮るけれど、私のものにはならない写真

旅先で写真を頼まれた時、私は言われるがままにシャッターを押すだけでは終わらせたくないと思っている。

少し背景を確認する。

光の向きを見る。

集合写真なら全員の顔が見えているかを確かめ、その場所らしい風景もできるだけ一緒に収める。

私に特別な撮影技術があるというわけではない。ただ、少しだけ写真を撮ることに慣れた旅人として、頼んでくれた人に少しでも喜んでもらいたい。

それは、これまで旅先で受けてきた数々の親切、例えば学生時代のナナハンのアニキもそうですが、受けた恩は無理のない範囲で別の誰かに少し返すのが良いと思っている。

鳥取県の田住の一本桜でも、家族写真を頼まれたことがあった。

そこには、この春から小学校へ入学する女の子がいて、真新しいランドセルを背負っていた。家族写真を撮ったあと、私は桜とランドセルでも撮ることを提案した。

その写真も私のところにはない。

けれど、桜の下に立った小さな一年生の姿は、今でも記憶に残っている。


真名井の滝で撮った十組ほどの写真も同じだ。

どこかの家族のアルバムに残っているのかもしれない。すでに失われてしまった写真もあるだろう。

誰が写っていたのか、今では顔も思い出せない。

それでも、自分が撮った写真が誰かの旅の一部になったことだけは、ほんの少しだけ嬉しく思う。

2023年12月 21年後の真名井の滝

2023年12月に撮影した高千穂峡の真名井の滝と青緑色の水面

それから21年が過ぎた2023年12月、私は再び真名井の滝を訪れた。

カメラはフィルムからデジタルに変わった。

撮影した写真はすぐに確認でき、失敗してもその場で撮り直せる。高千穂峡を訪れる人の手にはスマートフォンがあり、誰かに頼まなくても写真を残せるようになった。

旅の写真を取り巻く環境は、大きく変わった。

「写真を撮ってもらえますか?」と言われることもなかった。

ところが、2002年と2023年の写真を並べてみると、自分でも少し笑ってしまう。

二十年以上経っているのに、縦位置で撮った構図がほとんど変わっていないのである。

滝を左側に置き、右側に峡谷の奥行きを残す。下には水面を入れ、白く落ちる水の流れを縦に見せる。

カメラは進歩した。

時代も変わった。

撮影者の構図の癖だけが、ほぼそのまま残っていた。

どうやら私にとって真名井の滝は、昔からこの位置に収める発想しか浮かばないらしい。

真名井の滝と高千穂峡の柱状節理が続く岩壁

2023年には、滝だけでなく周囲の岩壁を大きく入れた写真も撮った。

柱のような岩が重なり、うねるように峡谷を形づくっている。滝だけを見れば繊細で静かな印象があるが、少し視野を広げると、その周囲には途方もない時間をかけて生まれた岩の壁が立っている。

2002年には滝そのものへ向いていた目が、21年後には少し周囲へ広がったのかもしれない。

縦の構図は変わっていなかったが、私もまったく成長していないわけではないと思いたい。
いや、成長しているはずという言い訳のようにこの構図を撮ったのかもしれない。

2002年と比べると、周囲は歩きやすく整備され、撮影できる位置も広がったように感じた。
ただ、正確にどこが変わったのかまでは覚えていない。単に私の使うレンズが広角になっただけかもしれない。(笑)

決して見ることができない写真の記憶

2002年にフィルムで撮った真名井の滝は、今も私の手元にある。

2023年に撮った写真も、データとして残っている。

しかし、その場所で私が撮った十組ほどの記念写真を、私は一度も見たことがない。

撮影した瞬間には確かに存在していたのに、私のアルバムには入らない写真である。

それでも、写真を撮るために並んだ人たちと、途中で少しだけ商売を始めようとした自分の邪念は、二十年以上経った今も覚えている。

写真は、必ずしも所有している人だけの記憶になるとは限らないらしい。

私が撮った写真は、誰かの旅の思い出になった。

そして写真そのものを持たない私の中にも、あの日の真名井の滝は別の形で残った。

神話の水が流れ落ちる高千穂峡で、旅人たちのカメラを次々と受け取った夏の日。

あれもまた、私にとっての真名井の滝のように枯れることなく流れ続ける風景なのである。

【2002年8月初回訪問】 
【2023年12月最新訪問】